高越城

別名 高越山城 付近住所 岡山県井原市神代町 現在 高越城址公園
2009/9/12 碑・案内板アリ 日本城郭大系


宇都宮氏

那須氏

伊勢氏
高越城と北条早雲
 高越城は、鎌倉時代末、蒙古襲来に備えて幕府が宇都宮貞綱に命じて作らせたと伝えています。
 戦国時代には、京都伊勢氏の一族備中伊勢氏が那須氏に代わって荏原庄を治め、この高越城を居城としていました。
 伊勢新九郎盛時(後の北条早雲)は、この備中伊勢氏出身で、永享4年(1432)父伊勢盛定の子としてこの地に生れました。新九郎は、青年時代までこの城で過ごし、西荏原の法泉寺で学んだといわれています。その後、30代で京都伊勢氏の養子となり、京都に上り幕府に仕え、応仁の乱の後、妹の嫁ぎ先の駿河国(現在の静岡県)の守護今川家に身を寄せました。新九郎は、この今川家の家督争いを治め、56歳にして初めて駿河国の興国寺城の城主となりました。その後、伊豆国(現在の伊豆半島)、相模国(現在の神奈川県)を治め、88歳で亡くなるまで、北条5代100年の関東支配の基礎をつくり、戦国大名の魁となりました。
 現在も高越城は、山陽道、小田川を眼下に、本丸を含めて5段の郭で構成されており、当時の状況をよくとどめています。

      

HOME